京つけもの西利

京漬物の歴史監修 上田 純一

日本古来の保存食である漬物。山紫水明の地で豊かな地下水に恵まれた京都では、多種多様な野菜が育まれ、独自の漬物文化が発展しました。宮中行事や禅宗、茶の湯とも共鳴しながら発展したその味わいは、はんなりとして上品。その歴史や魅力をご紹介します。

平安時代794年〜1191年頃

約50種の漬物が文献に登場。
宮中の宴や儀式で珍重される。

漬物が日本で初めて記録に現れたのは奈良時代。続く平安時代には種類も増え、宮中の宴や儀式に登場するようになりました。10世紀半ばに編纂された『延喜式(えんぎしき)』には、春の漬物14種類、秋の漬物35種類が記されています。瓜などの野菜から果物、野草、山菜まで、そのバリエーションは驚くほどに豊かでした。

【当時のお漬物】

  • 蕪(かぶら)
  • 茄子
  • 冬瓜(とうがん)
  • 大豆
  • 蕨(わらび)
  • にんにく

歴史のこぼれ話

桃や柿、梨の漬物があった!?
最近、若い女性を中心に果物を使ったフルーツピクルスが人気ですが、上述の『延喜式』には桃や柿、梨などの漬物が登場し、平安時代から果物が漬けられていたことがわかっています。塩漬にすることで保存性を高めていたのでした。

当時の漬物は、超高級品!?

『延喜式』には、塩漬やかす漬、醤(ひしお)漬など多彩な漬け方が記載されていました。一方、沿岸部で作られる塩や酒かすなどの発酵食品は、当時はまだ高価で貴重なもの。野菜の栽培も一般的ではなく、漬物を食べることができたのは貴族などごく一部でした。

平家の悲劇のヒロインを癒した味。

平安後期には、京都三大漬物のひとつ「しば漬(紫蘇漬)」が誕生したと伝えられています。当時、大原に隠棲していたのが、壇ノ浦の合戦で唯一生き残った建礼門院(1155~1214)。我が子も失い悲しみにくれるなか、なぐさめにと村人が献上したしば漬をとても気に入ったとか? 美しい赤色を見て、「紫葉(しば)漬け」と名付けたという伝説も残っています。

鎌倉時代〜安土桃山時代1192年〜1603年頃

禅宗から「食の専門書」が発行される

鎌倉初期、京都の僧侶・道元禅師(1200〜1253)は、宋(中国)に渡って禅宗の修行を積み、それまでの日本仏教が軽視していた「食」の大切さを学びます。帰国後、『典座教訓(てんぞきょうくん)』という本格的な食の論書を著し、食材や作り手への敬意、調理の仕方や心構えにいたるまで、食の重要性を説きました。

歴史のこぼれ話

「食」を題材にした絵巻物
室町時代から江戸時代の過渡期に制作された『酒飯論絵巻』では、酒好きや飯好きの僧侶らが自説を展開して優劣を競う合う物語が描かれています。この絵巻は調理から配膳、飲食の様子が詳細に描かれており、当時の食文化を知る貴重な資料となっています。

『酒飯論絵巻』の複製
『紙本著色酒飯論図 1巻』「(国) 文化庁保管」

禅宗や茶の湯が発展し、
漬物がより身近に。

武士の世になると、梅干が戦時携行食として欠かせないものになりました。また禅宗が普及し、精進料理のための野菜栽培が盛んになると、漬物も広く食されるように。茶の湯で供される懐石料理は禅宗の影響を受け、ご飯と漬物で食事を締めくくる習慣が根付きました。

歴史のこぼれ話

諸国の特産品がブームに!
漬物が普及するにつれ、地方の名産品が誕生。京都では鞍馬の木芽漬(あけびやマタタビなどの新芽の塩漬け)、醍醐の烏頭布(うどめ)漬(植物の新芽漬け)が筆頭で、初等教育の教科書にも登場しました。
鞍馬寺と醍醐寺、五重塔

「香の物」が普及する。

漬物が「香の物」と呼ばれるようになったのは室町時代のこと。元は宮中に仕える女官が使っていた「女房ことば」で、“香りのよいみそ漬”の意味でした。やがて上品で奥ゆかしい言葉として一般に広がり、漬物全般に使われるようになりました。

上賀茂の社家が「すぐき漬」を発明

すぐきの「天秤漬け」

桃山時代、上賀茂神社の社家がすぐきの種を手に入れ、上層階級への贈答用に栽培し漬物にしたのがはじまり。製法は永く門外不出でしたが、ある飢饉の折に公開されると、そのおいしさに町民たちが夢中に。乳酸発酵が生む、独特の酸味と味わいが魅力です。
現在、上賀茂の冬の風物詩として親しまれているすぐきの「天秤漬け」(天秤を使って漬ける)は、実は昭和初期からの製法です。

江戸時代1603年〜1867年頃

百花繚乱。漬物全盛期が到来

戦乱の世が去り庶民の食生活が豊かになると、野菜の種類や調味料も増え、漬物もより多様化しました。江戸時代に入ると、ほぼ現在と同じ漬物が作られるようになりました。京都や江戸、大坂では「香の物屋」が大繁盛。寺社の縁日には、地方の名産や季節の漬物がずらりと並べられました。

歴史のこぼれ話

ぬか漬けが家庭に普及
米ぬかと塩をあわせた漬床を用いる「ぬか漬」が普及したのも江戸時代に。繰り返し使えるため経済的で、漬物の普及に一役買いました。また、大根をぬか漬けした「たくわん漬」も一躍人気に。

漬物のレシピ本が刊行

江戸時代には様々な漬物専門書が刊行されました。最も有名なのは、天保7(1836)年に江戸の漬物問屋が著した『四季漬物塩嘉言』。たくあん漬や京糸菜漬、たけのこ漬など64種類のレシピが掲載されています。

歴史のこぼれ話

江戸に鳴り響いた京漬物の名声
江戸で漬物文化が花開く一方、「京もの」の人気もさらに高まりました。なかでも壬生産の水菜漬け、上賀茂のすぐき漬の人気は高く、江戸中に知れ渡っていたとか。

幕末、優美な「千枚漬」が誕生

京都の冬を代表する漬物「千枚漬」は、幕末にひとりの宮中料理人が旬の聖護院かぶらを薄く切り、塩や酢に漬けたのがはじまり。漬物が長期保存食だった当時、浅漬けならではの純白で美しい姿や上品な味わいは多くの人々を魅了しました。

近現代1870年〜1940年頃

漬物作りが農家の副業に

文明開化以後、食生活に西洋化の波が訪れますが、明治以降も依然として漬物は食卓の副食として重要な座を占めていました。明治初期、大都市近郊の農家では副業として沢庵漬や奈良漬が作られ、市民の需要を満たしていました。これらの副業が大正、昭和にかけて漬物製造業へと進展するきっかけになりました。

京都漬物業組合が発足

明治41(1908)年、京都では全市の業者を組合員とする京都漬物業組合が発足。同組合は第2次世界大戦の戦時下、統制組合として計画配給に尽力し、戦後の混乱期には台所の必需品として漬物を全国の家庭に深く普及させるために努力を尽くしました。

歴史のこぼれ話

軍需物資として漬物が戦地へ
いつの時代も漬物は、保存食・非常食としての側面がありました。日清、日露、昭和の戦役では、沢庵漬や梅干しが重要な軍需物資として戦地で食されていました。

家庭で漬物を漬ける習慣が減少

日本は敗戦直後、深刻な食糧難に陥りました。小麦の輸入が加速し、庶民の食卓も米食からパン食や麺食へと、主食の多様化が進みました。こうした食生活の変化により、主婦の勤めであった漬物の「家庭漬け」が減少し、漬物を市場で買い求める人が増えはじめました。

漬物新時代1940年〜現在

のれん分けにより
「京つけもの 西利」が誕生

西利の創業者である平井太郎は滋賀の農家に生まれました。次男であった太郎は家業を継ぐことができず、高等小学校卒業と同時に老舗の西利漬物店に丁稚奉公。厳しい修業の後、35歳でのれん分けを認められて、昭和15(1940)年に「京つけもの 西利」を創業しました。

歴史のこぼれ話

西利の創業物語がドラマとして放映
太郎が漬物業界に入った当時、機械やゴム手袋などはなく、木樽の運搬や冬場の漬込み作業は過酷な重労働でした。数々の苦難を、才覚と創意工夫で乗り越えていく姿は、KBS京都初の自社制作2時間ドラマ『塩かげん一代』としてまとめられ、人気を博しました。
KBS京都テレビドラマ
『塩かげん一代』

京漬物が土産物や贈答品へと発展

昭和30年代、西利は業界で初めて売場に冷蔵ケースを採用し、刻んだ漬物を小分けにして袋詰めするパッケージングに成功しました。それまで野菜一本丸ごと販売していた漬物のイメージをくつがえし、京漬物は観光旅行客の土産物や贈答品へと発展を遂げました。

業界初のパッケージ「古都の朝」

漬物のジャンルを塗り替えた
「京のあっさり漬」

1960年ごろよりはじまった減塩運動が全国に波及するなるなか、西利は低塩度の「京のあっさり漬」を昭和60(1985)年に発売。現代人のライフスタイルにあった漬物として、その後の「浅漬ブーム」の火付け役となり、京漬物の新しいジャンルを開拓しました。

「京のあっさり漬」

「木樽」が再生可能な「エコケース」に

京漬物は木の化粧樽に収まっているのが常道でしたが、平成3(1991年)年、西利は木樽に代わる新素材として再生紙を利用したパッケージを展開。この大胆な試みは、当時同業者やお得意様から懸念の声も挙がりましたが、地球に還ってゆく実用性や持続可能性を伴ったデザインとして先進的な取り組みでした。

「西利エコケース」

「漬物」本来の役割を示す
「健康漬物乳酸菌ラブレ」

平成5(1993)年、京都の代表的な漬物のひとつ「すぐき漬」の中から植物性乳酸菌の「ラブレ菌」が発見されました。免疫力の向上や整腸効果に寄与することが判明し、世界でも大きな話題になりました。翌年、西利は独自の乳酸菌群と「ラブレ菌」で漬け込んだ「健康漬物乳酸菌ラブレ」を発売。その効用を実証した摂取試験実施など新しい分野を展開しました。

「健康漬物乳酸菌ラブレ」

歴史のこぼれ話

長寿の秘訣からラブレ菌を発見
ラブレ菌を発見したルイ・パストゥール研究所の岸田綱太郎博士は、ある日「京都の男性は全国2位の長寿」という新聞記事を目にしたのがきっかけで、京都人が好んで食べる漬物を調べたといわれています。
特異な免疫賦活能を持ったラクトバシラスの一株Lactobacillus brevis(Labre)(ラブレ乳酸菌)の顕微鏡写真
写真提供:
(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター

和食がユネスコ無形文化遺産に登録

平成26(2013)年、和食がユネスコ無形文化遺産いわゆる世界遺産に登録されました。和食の基本形とされる「飯・汁・菜・香の物(漬物)」の組み合わせをはじめ、日本人の食文化が世界に認められました。漬物はその名脇役として、国内外から注目を集めています。

「京漬物の歴史」監修者

日本史学者/京都府立大学 和食文化研究センター 特任教授 上田 純一

上田 純一日本史学者 /
京都府立大学 和食文化研究センター 特任教授
上田 純一

京都府立大学和食文化研究センター特任教授、名誉教授。文学博士。同大学において、和食文化を担う人材の育成や和食文化に関する研究を行う「京都和食文化研究センター」に所属し、2019年度設置の和食文化学科で教鞭を執る予定。専門は、中世禅宗史、日中文化交流史。近年の共編著に『京料理の文化史』(思文閣出版)、論文に「修験道と和食」(『和食文化研究』創刊準備号)などがある。

京都府立大学和食文化研究センター特任教授、名誉教授。文学博士。同大学において、和食文化を担う人材の育成や和食文化に関する研究を行う「京都和食文化研究センター」に所属し、2019年度設置の和食文化学科で教鞭を執る予定。専門は、中世禅宗史、日中文化交流史。近年の共編著に『京料理の文化史』(思文閣出版)、論文に「修験道と和食」(『和食文化研究』創刊準備号)などがある。


監修者からのメッセージ

2013年に「和食」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されて以来、日本の食文化への関心が国内外で高まっています。その選定理由は、「理想的な栄養バランス」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」など様々にありますが、日本古来の漬物もまた、伝統ある和食文化を担うにふさわしい歴史と魅力を有しています。
原始時代、海水で食品を塩漬け保存したことに始まるとされる漬物。野菜の葉や根だけでなく、魚貝や肉、果物などあらゆる自然の恵みを用いて工夫を凝らしてきたことで、日本人は世界でも類を見ない保存・発酵文化を築き上げてきました。そのバリエーションは、現代の私たちが見ても実に豊かです。そのひとつ一つをひも解くことで、今を生きる私たちにきっと新しい知恵や気づきを与えてくれることでしょう。

上田先生のインタビューはこちら

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